ジュリアン・ウェストがウィグモア・ホールのプログラムの一環で実施する高齢者施設での事業『ミュージック・フォー・ライフ』の様子 ©

James Berry

文化芸術は、高齢者のウェルビーイングを高める

2018年3月20日にブリティッシュ・カウンシルは文化芸術関係者や研究者など日英合わせて8人のスピーカーを招いて、高齢化社会における文化芸術の可能性を問うフォーラムを東京芸術劇場で開催しました。2065年には人口の約40%が65歳以上になると予想されている日本。日々さまざまな課題が浮かびあがる「高齢化」と向き合う上で、文化芸術の果たす役割とは何か? 8人の専門的見地、そして活動から探ります。

自分の人生が、文化芸術に反映されるという実感

高齢化社会において、文化芸術はどんな可能性を秘めているのか。役割はあるのかを考えたときに、ふとアート(Art)の語源を思い出した。ラテン語でアートは、アルス「ars」。それは術、才能などを指す。つまりアートとはもともと“生きるための術”であるなら、高齢社会を生き抜く上でも大きな役割を果たすのではないだろうか。3月20日、会場となった東京芸術劇場シンフォニースペースに集ったスピーカー8人は、それぞれの専門的見地から高齢化社会と向き合っている。そんな8人の実践のなかには、まさに生きるための術としてのアートが存在していた。かけ足にはなってしまうが、20日の内容をレポートする。

トップバッターは3月16日(金)にカルッツかわさきで行われたフォーラム「Music for All –すべての人に音楽を」にも登壇した、アーツカウンシル・イングランドでダイバーシティ担当ディレクターを務めるアビド・フセイン氏。英国も日本と同じく高齢化社会に直面していると言うアビド氏は、アーツカウンシル・イングランドが助成しているプログラムのいくつかの実例について話した。なかでも『Celebrating Age』は、高齢者の孤立を防ぎ、地域全体が高齢者との新たな関係性を築いていくためのスケールの大きなプログラムだ。

「『Celebrating Age』は年齢からくるさまざまな懸念や身体の不調によって、文化芸術の現場から身を引いてしまう高齢者を、再び文化芸術に積極的に関われるようにするプロジェクトで、既存の芸術団体とともに推進しています。内容は、例えば美術館や文化施設のアクセシビリティを向上させ、高齢者が足を運びやすくすることを始め、高齢者が親しみを持つようなアート作品を地域コミュニティに持っていくアウトリーチ活動、現役アーティストと高齢者の交流などが含まれます。」

『Celebrating Age』に対して、これまで300万ポンドの助成を行なってきたアーツカウンシル・イングランド。芸術としての経済的な価値を見出した上での助成だが、同時に感情的な価値も伴っている。実際、高齢者に調査を行ったところ、50%を超える人たちが、「文化芸術は自分の暮らしに必要だ」「外出するきっかけになった」「文化芸術を介して新しい出会いがあった」と答えていたと言う。

「高齢者を始め、社会のあらゆる人たちは、自分の人生が文化芸術に反映されているという実感を持つことが非常に重要だと思います。それは鑑賞者であっても、です。」

エイジ・フレンドリーという志

アビド氏に続くのは、英国マンチェスター市にあるロイヤル・エクスチェンジ・シアターで、エルダーズ(高齢)・プログラム・マネージャーを務めるアンドリュー・バリュー氏。

「シアターならではのプロジェクトとしてはいくつかありますが、なかでも『ELDERS INVESTIGATE』は、高齢者の反応がとても良いです。これは詩人で劇作家のサラ・バトラー(SARAH BUTLER)が率いて活動しているプロジェクトですが、60歳以上を対象に、主に文化芸術と老いの関係を探求する創造的なワークショップ、ディスカッション、討論、イベントを行っています。サラのもと、参加者たちは自分のストーリー執筆しながら、それを劇にもするのです。」

かつて王立の綿花取引場だったという建物が味わい深く有名なロイヤル・エクスチェンジ・シアター。そんなシアターのレジデンス・カンパニーのひとつに、2014年に結成したエルダーズ・カンパニーがある。年齢は60歳から66歳ぐらいまでの劇団員約40人が、日々演劇のテクニックを学んでいる。

「もともと英国マンチェスター市は、2010年に創設されたWHOのエイジ・フレンドリー・シティ・グローバル・ネットワークに早くから参加し、市としてもエイジ・フレンドリー・マンチェスターを掲げて高齢者にやさしい都市づくりを推進してきました。そうした市の姿勢に私たちカンパニーも共鳴し、エルダーズ・カンパニーを結成したのです。このカンパニーでは歳を重ねることへのネガティブな固定概念を打ち破る意思を持った劇団員とともに、シアターの限界を広げることをテーマに活動しています。」

現在、シアターのレジデンス・カンパニーは2つある。このエルダーズ・カンパニーと、もうひとつはヤング・カンパニーで、両者は世代を超えて交流を図っている。

「ヤング・カンパニーは演劇のテクニック学ぶスキルセッションはもちろん、エルダーズ・カンパニーとのコラボレーションによる演劇作品の制作も行っています。こうして両者が交わることで、互いの価値観、世界を広げているのです。」

続いて登壇したのは、ロンドン南部にある英国で最も古い美術館ダリッチ・ピクチャー・ギャラリーでさまざまなラーニング・エンゲージメントを行っているジェーン・フィンドレー氏。

「私たちはつねにギャラリーを通して文化芸術と人と場所を繋げることを大切にしています。そのなかで高齢者が学べるさまざまなプロジェクトがありますが、例えばエイジング・ウェル。上手に歳を重ねるというプログラムなんですが、歳を重ねることの魅力について対話し合うことを基本に、クリエイティブである、健康的であることへの包括的なアプローチを行っていて、ヨガや瞑想をするプログラムもあります。またクリエイティブ・コネクトという認知症のプログラムがあります。これは認知症協会やアルツハイマー協会とゼロからプログラムを作り始めていて、アートを通じて当事者たちの記憶のなかにある大切な瞬間を共有しながら、互いにコミュニケーションを図る場を作っています。」

1817年に開館し、英国で最初に一般大衆に開かれたことで有名なダリッチ・ピクチャー・ギャラリーは、200年以上が経った今も変わらず地域に根ざし、先進的な取り組みを行っている。その姿勢はぶれることなく、目指すはさまざまなプロジェクトを横断させながら、エイジ・フレンドリー・プログラム・グループを作ることだ。

「グループを基礎としながら、既存のパブリック・プログラムをエイジ・プログラムに変えていきたいと思います。高齢者の方たちにも常に活動的な参加者になってもらいたい。意思決定にも参加してほしいのです。その変化の担い手になるということを、つねに意識しながらこれからも活動していきたいと思います。」

ダリッチ・ピクチャー・ギャラリーが実施する高齢者向けプログラムの様子 By Permission of Dulwich Picture Gallery, London
スコティッシュ・バレエが実施する高齢者向けプログラムの様子 ©

Alicja Jaskiewicz

音楽とダンスを通じて心の解放を目指す

ダンスを通じて、高齢者のクリエイティビティを解放する。そんな試みを行なっているのは、1957年に設立。英国のナショナルカンパニーであるスコティッシュ・バレエで、新しいダンス・ヘルス・プログラムを手がけるキャサリン・キャサディ氏だ。

「週4回、60歳以上の方向けのバレエクラスがありますが、このクラスで公演できないかと思い、3年前にオーディションをやったところ、80代の方も応募してくれました。このオーディションで私たちが最も重要視したのは、ダンススキルではなく、どれだけ自分のなかの創造性を解放できるかです。最終的にはそこで採用された15人からなる、エルダーズ・ダンス・パフォーマンス・カンパニーを立ち上げました。このカンパニーではコンテンポラリー・ダンスを軸にしながら作品を作り上げていきました。」

そんなエルダーズ・ダンス・パフォーマンス・カンパニーは、今年8月にグラスゴーで行われる『ヨーロッパ・チャンピオン・シップ2018』の一環で行われるフェスティバルに出演する。プロの振付家に振付を依頼して、新しい作品を制作。若い世代で構成されたユース・ダンス・パフォーマンス・カンパニーとともにフェスティバルの目玉として上演する予定だ。

「パーキンソン病を患っている方たちに向けたダンスクラスでは、身体を動かすことで、抱えていた症状が軽くなったという方が多くいます。身体の機能そのものにもアプローチが可能なダンスを通して、あらゆる症状を抱えた人の心の解放、創造性の解放に繋げていきたいと思います。」

プロのオーボエ奏者であるジュリアン・ウェスト氏は、現在、ロイヤルアカデミー・オブ・ミュージックでオープン・アカデミーの指揮を取りながら、ロンドンのウィグモア・ホールが主催している教育プログラム『ミュージック・フォー・ライフ』を実施している。これは介護施設で認知症と共に生きる人々とその介護者のためのインタラクティブな音楽ワークショップ・プログラムで、ジュリアン氏はこのプログラムを始めて約20年になる。

「認知症の人たちと音楽を一緒に即興で演奏することで、コミュニケーションとクリエイティビティを模索しています。この『ミュージック・フォー・ライフ』は音楽療法と思われることもありますが、それは違います。音楽療法の場合、まず医療モデルを前提に、医療従事者が特定の症状をターゲットにして治療を目的に行いますが、『ミュージック・フォー・ライフ』はあくまで芸術プロジェクトの一貫として取り組んでいます。私たちは施設に通い、芸術を通して認知症の人たちのクリエイティビティを引き出し、そして彼らが対等に人間関係を築けるようにしているのです。音楽を通して人生の意味を見出し、表現の手段を手にしてもらうために。」

音楽やダンスを通じて自発性が促されることで、今、この瞬間に湧き上がる感情を表現していく参加者。たとえ認知症がかなり進行していたとしても、今の感情は残るし、表現できる。としたときに音楽やダンスのような言葉のない身体芸術は、直接、感情と結びつくので非常に有効なのだ。

「言葉にならない参加者の力強い感情は、介護者との新たなコミュニケーションに繋がっていくケースが非常に多いです。即興音楽やダンスで、今の感情を表現する。そしてそれを他者と共有することは、良いきっかけの連鎖を生んでいます。」

フォーラムレポート後編に続く

編集・文:水島七恵