個人史を身体表現に転化させる
英国からの5人のスピーカーのプレゼンテーションに続いて登壇したのは、彩の国さいたま芸術劇場(以下さいたま芸術劇場)で主に高齢者の芸術プログラムを担当する請川幸子氏。さいたま芸術劇場と言えば、さいたまゴールド・シアター。故・蜷川幸雄氏の発案によって、2006年から取り組みを始めた高齢者による演劇集団だ。
「“年齢を重ねるということは、さまざまな経験を重ねること、つまり深い喜びや悲しみや平穏な日々を生き抜いてきたという証であります。その年齢を重ねた人たちが個人史をベースに身体表現という方法によって、新しい自分に出会うことは、可能ではないか?”と、蜷川氏は述べました。そんな演出家としての蜷川氏の強い芸術的欲求から始まったこのさいたまゴールド・シアターは、55歳以上の男女48名の劇団員でスタートしましたが、なにぶん前例のない取り組みです。劇場職員にとってもまさに手探りの状態から活動を始めましたが、芸術面で高く評価され、やがて国内外の演劇祭に招かれるようになりました。」
結成から10年が経った2016年。さらに多くのシルバー世代が演劇の力で輝くための舞台、『1万人のゴールド・シアター2016』をさいたまスーパーアリーナで上演。創作をした作品は、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を下敷きとした大群集劇。総合演出を手掛ける予定だった故・蜷川幸雄の意を受け、ノゾエ征爾が脚本・演出を務めた。
「1万人とはたくさんという意味で(笑)、実際は60歳以上の男女約1,600人の方がさいたまを中心に国内外から参加しました。これをきっかけに、『1万人のゴールド・シアター2016』の表現活動を継続する場として、芸術クラブが立ち上がり、約1,000の方が登録されています。」
一方のさいたまゴールド・シアターは、67歳から92歳の劇団員37名で活動中だ。平均年齢はなんと79歳。プロジェクトごとに演出家を招いて進めているが、つねにその核にあるものは、芸術的な挑戦をする、創造をすること。
「蜷川氏は高齢者の方たちと芸術的なチャレンジをすることについて、一切妥協がありませんでした。この姿勢が今のさいたまゴールド・シアターに引き継がれています。また先ほど、ロイヤル・エクスチェンジ・シアターやスコティッシュ・バレエの取り組みの中にも挙がっていましたが、さいたま芸術劇場にも『さいたまネクスト・シアター』というユース・カンパニー存在していて、この若いカンパニーの存在は劇場にとっても非常に大きいものがあります。ネクストとゴールドは互いに共演者として、稽古や舞台を共にしています。舞台の上でも、ネクストがゴールドのサポートを行っていますし、そうやって互いに支え合いながら、前進してきました。」
今年9月~10月には、高齢者アートに関わる人たちが集って交流しながら互いの経験や知見を共有する国際プラットフォームとして、高齢者舞台芸術の国際フェスティバル『世界ゴールド祭』を立ち上げる。昨年9月にはプレ・イベントを開催した。2006年、劇場と蜷川氏が蒔いた種が、10年をかけてさまざまなプロジェクトへと確実に花開いている。そしてそれに甘んじることなく、劇場として新たな目標がある。請川氏は言う。
「これまで演劇を中心に活動をしてきましたが、ダンスや音楽など、演劇以外のカンパニーも作りたいと思案中です。」
寿命は伸びながら、同時に10歳若返っている。
6人の日英スピーカーのプレゼンテーションが行われた後の、パネルディスカッション。ここでは6人に加えて、前田展弘氏(ニッセイ基礎研究所生活研究部主任研究員)と杉山美香氏(東京都健康長寿医療センター研究所)が参加。ふたりそれぞれの高齢者施策の現状解説を導入に、ディスカッションへと流れていった。
「2030年、日本は3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上の時代に入っていきます。そんなかつてない超高齢社会を迎える中で、まずすべきことは、日本の社会、制度、システム、インフラを未来の人口の形に合わせて作り変えること。もうひとつは人生60年から人生100年の時代に入ることを前提とした生き方、ライフモデルを個々が作っていくことが大切だと思います。ほかにも課題は多くのしかかっていますが、ただ、私自身の視点から見ると、課題は多ければ多いほど、同時にチャンスが多いということでもあって、きちんと乗り越えていけば、日本の社会的な発展にもつながると信じています。」
そう話す前田氏の専門は、ジェロントロジー(高齢社会総合研究)。民間シンクタンクとして唯一ジェロントロジー研究を行っているニッセイ基礎研究所で、高齢者の活躍場所を拡大するための「セカンドライフ支援」に関する研究や事業を始め、東京大学産学連携組織「ジェロントロジー・ネットワーク」とともに「高齢者市場創造」の研究などにも取り組んでいる。
「日本の高齢者に関するさまざまな研究結果を見ると、日本人は寿命が伸びながら、同時に同じ年齢でも10歳ぐらい体力が若返っていることが確認できています。としたときに、まだまだ活躍したい、活躍できると思う高齢者がたくさんいます。現役をリタイヤしても、社会で活躍できる場がある、それを自分で選択できる。文化芸術を楽しみたいと思うように、それが人生において非常に大切なことではないでしょうか。」
その環境を整えるべく、現在ニッセイ基礎研究所が進めている事業で、地域包括マッチング事業というものがある。この事業は、大学、社会福祉法人、医療法人、民間事業者、NPO等の地域の多様な資源と、自治体とのマッチングを図ることにより、まちづくりの視点から地域包括ケアを推進するものだ。
「みなさんそれぞれ一生懸命に高齢化にまつわるさまざまな課題に取り組んでいますが、単独では限界があります。そういったなかでよくよく地域を見渡すと、一緒にその課題に取り組める相手がたくさんいます。けれど互いにつながりあっていないというケースがかなりあるんです。そこで地域包括を一緒に進めるための全体のコーディネイトをしているのがこの事業なんです。」
北海道、関東信越、東海北陸と行ってきた地域包括マッチング事業。今後は、近畿と九州他全国に拡げていく予定だ。
「長寿世代にふさわしい、サクセシブル・エイジングができる社会にする。そのための多様な活動をこれからも行っていきたいと思います。」
福祉には文化芸術の力が必要
「認知症の発症リスクが一番の要因は、実は歳を取ることだと知っていますか? 85歳になると3割以上の人が認知症になります。つまり認知症を抱えている社会が普通なんだという意識を持つことを、これからは当たり前としなくてはいけないと思うのです。」
冒頭での杉山氏の一言に、会場全体がハッとさせられつつ、杉山氏が現在取り組んでいるという東京都板橋区高島平地区のプロジェクトの話に迫っていく。
「まず板橋区全体の高齢化率は約23%ですが、我々がプロジェクトを行っている高島平地区は都内でもかなり高齢化が進んでいるまちです。そのなかでも特に高島平二丁目地区は女性でいうと約47%が高齢者と、超高齢社会となっています。そのような地域で認知症になってしまったとしたら? そのとき一人暮らしだったら? またはパートナーも高齢者で介護が厳しかったら? それでも希望と尊厳を持って、安心して暮らし続けていくためのまちや地域のあり方はあるでしょうか。そんな課題に向き合うために、地域住民、関係団体の協力のもと、住民の健康調査を行いながら地域づくりを行なってきました。」
そのひとつの成果が、「高島平ココからステーション」だ。2017年にオープンしたこのステーションは、高島平二丁目のUR団地の1室にあって、認知症の有無に関わらず、誰でも自由に利用ができる。
「地域に居場所を作るというテーマのもと、高島平ココからステーションはオープンしました。おしゃべりしたり、お茶を飲んだり、本を読んだり。みなさんそれぞれ思い思いの時間を過ごしています。それに加えて例えば毎週月曜日はステーションに医者が滞在して、ひとりひとりの心の悩みの相談に乗ったりしています。医者のほかに保健師や心理士が滞在することもあって、その相談者だけでなく、周囲の人の健康状態なども把握するようにして、孤立を防ぐようにしています。」
そのなかには認知症の人もいる。日常の困難もありながら、それぞれが心を解放するのはときに難しいが、そういうときこそ文化芸術に力があると杉山氏は言う。
「ステーションでは月に一度、コンサートや落語、健康体操や栄養講座などを行っているんです。そのときの会場の様子を見ていると、文化芸術は福祉の領域だけでは越えられない、壁を越える力があると実感します。本当はやりたいことがあってもそれを我慢しなくてはいけない、社会的に狭められていくというときに、文化芸術がその失われたものを再構築し、希望を与えてくれる。そんな存在であると思います。」
文化芸術を通して自分の声を見つける
各スピーカーのプレゼンテーションがひと通り終えたところで、それぞれが取り組みのなかで抱えている課題についても話が及んだ。
「つねに安全面には注意しています。それでも例えば何か緊急事態になってしまったときにどのように参加者を避難させるべきなのか。なかには障害のある方もいますし、その症状もひとりひとり違います。そこはとても繊細な課題で、私たちスタッフができる限りの訓練を積んでいくことが必要不可欠です。それでもつねに本人の尊厳を守りながら、いかに安全な状態を作っていくのかはつねに課題。」(キャサリン)
「私たちのプログラムに参加してもらうためには、参加者本人のほかに参加者のケアに回るケアスタッフが5人ぐらい必要になってきます。それだけの人数を確保することがまずなかなか難しい。時間的な制約もありますが、何よりこのプログラムに参加するメリットがどこにあるのか、医療モデルではないですから、プロジェクトのポテンシャルを理解いただくのにも苦労します。」(ジュリアン)
「交通インフラの問題もあります。体力的なことで、まちの真ん中にまで一人ではなかなか来れないという参加者もいます。」(アンドリュー)
「演劇を行う上での高齢者特有の記憶力の問題、身体的問題、ご自身のパートナーの怪我や病気、ご両親の介護、つまり老老介護の問題も浮き彫りになります。」(請川)
「文化芸術の力をお借りしたいと思っても、医療と福祉の専門分野にいるため、なかなか繋がりが持てないのが課題です。」(杉山)
高齢者と文化芸術をともにすることは、同時にこの社会が孕んでいるさまざまな課題と向き合うことでもある。そしてそれは“私自身”の課題でもある。なぜなら、誰もがみな、生きている限り経験することだから。そのなかで文化芸術は、自分の本当の声を見つけて解放していく豊かな手段だ。その声は回復力に繋がり、目の前の課題に対処していく力にもなるだろう。
「自分たちはここで根付いて生きているんだ。そう主体的に思える地域社会を作ることが大切。」
8人の共通の想いが、これから迎える高齢化社会の力強い生きる術となる。
フォーラムレポート前編
編集・文:水島七恵