タブレットの画面を見ながら談笑する6人
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Ise City, British Council Photo by Hakubun Sakamoto

2019年10月、三重県伊勢市にて開催された伊勢市アーティスト・イン・レジデンスは、英国拠点の6組7名のアーティストが伊勢市に2週間滞在し、伊勢神宮をはじめ現地の工芸作家や地域文化に触れ、伊勢の歴史や文化を学ぶリサーチ目的のレジデンスでした。このユニークでクリエイティブなレジデンスの様子とアーティストたちが感じたことはそれぞれレポートしてきましたが、伊勢市の人々に、このレジデンスは何をもたらしたのでしょう。伊勢在住で、アーティストたちとの意見交換のセッションに参加した建築家の湯谷紘介さんと文筆家の千種清美さん、そして今回のレジデンスのホストであった伊勢市産業観光部の須崎充博さんとレジデンスの現場を担当した観光誘客課の立花健太さんにお話を伺いました。

アーティストの眼を通して伊勢の魅力を再発見する

2週間の滞在の後半にアーティストと初めて会った湯谷さんと千種さんは、熱心に質問をするアーティストたちの姿が印象的だったと振り返りました。湯谷さんは、自身の留学先のスイスでいつも驚かれていた「八百万の神がいる」という話に、彼らが特に驚かなかった様子を見て、すでに伊勢でいろいろ体験して学んでいるなと思ったといいます。千種さんは、神宮の建築といった目に見える部分への関心だけでなく、目に見えないことをどう表現するかについて語りあったことが印象に残ったそうです。

プロフェッショナル同士の意見交換もありました。千種さんは、同じ文筆家として、特にシーズン・バトラーさんとの出会いが重要だったと語ります。

「『伊勢は常世の波の寄せる地』という言葉を巡って、シーズンさんと話す機会がありました。日本とイギリスはお互い海に囲まれた土地なのに、海の向こうに対する時間軸の捉え方は異なっていました。これは発見でした。この先、シーズンさんの作品にどういうかたちで伊勢のアウトプットがあるか楽しみです」(千種)

また湯谷さんは、式年遷宮のシステムに表れる再生や循環の考えに興味を持ったアーティストたちを通して、あらためて自身が伊勢に戻ってやりたかった「循環」を意識した建築について考えるようになったといいます。

「素材や技術の選び方、さらに生まれる空間が、過去からつながってどのように未来の世代に使われていくのか、その循環のなかでの自分の役割はなにかということを、最近すごく意識するようになりました。ただ、環境自体は循環していても各個人の人生は一直線なので、この矛盾を抱えながらずっと考え続けなくちゃいけないテーマだと思っています」(湯谷)

今回訪問した伊勢の職人や神宮からも、とてもよい反応が得られたそうです。伊勢について知ろうとするアーティストたちの真摯な熱意は、同じものづくりを行う人々の心に届いたようです。

一方、伊勢市民にこうしたアーティストとの出会いはどんな意味があるのでしょう。生活様式の変化やインバウンド効果を狙った開発などで、伊勢の街並みや人の心も少しずつ変化しているなか、湯谷さんも千種さんも口を揃えて、外からの視線を届ける重要性を訴えます。

「伊勢神宮だけでなく、鳥居前町をはじめ、神宮を支える人と街が一体となって“お伊勢さん”なんですね。伊勢の人々が築いてきた街並みや伊勢神宮のお膝元にいることへの感謝の心は、経済を動かしていくなかでも失われてはいけないもの。そのありがたみをもっと地元の人に伝えなければと思っています」(千種)

湯谷さんの同級生の間でも、式年遷宮や街の行事にまったく興味のない人はたくさんいるそうです。外から見ると魅力的な伊勢の文化も、案外住んでいる人たちがその良さに気づいていないと湯谷さんは指摘します。「海外の熱心なアーティストが伊勢を語ってくれることで、当たり前のように暮らしているこの場所の豊かさに気づくきっかけになります。次は小さなものでいいから一緒につくってみたいです。コラボレーションのプロセスで、僕が間に入って大工さんや素材の供給者さんとコミュニケーションしていったら、文化交流の接点が広がって地域と具体的な関わりがつくれるし、それによって地元の人が伊勢を見直すきっかけにもなると思います」(湯谷)

伊勢で得たインスピレーションがアーティストの作品や人生につながり、語り続けられることを願って

今回のレジデンスの事業を手がけた伊勢市観光誘客課チームの声も聞いてみましょう。今回のレジデンスについて伊勢市役所で中心的な役割を担った須崎さんは、アーティストを迎えるにあたって、まず神嘗祭を体で感じてもらうことが伊勢を知ることの始まりになると考えたそうです。

「神嘗祭を見ないと何も始まらない、そこから日程を決めました。さらに伊勢神宮の精神性を知ってほしいという思いから、正式参拝なども組み込んで、あれもこれも知ってほしいとプログラムしていって、気づいたらぎゅうぎゅう詰めになってしまって、ちょっとそこは反省ですね(笑)」(須崎)

「羨ましいほど充実した内容」と千種さんが絶賛した濃密なプログラムに加えて、自由なアーティストたちのリクエストを叶えるべく、連日調整に奔走した立花さんですが、それはまったく苦ではなかったと振り返ります。

「アーティストがいろいろお願いしてくるのは興味を持ってくれたことの裏返しなので、純粋にうれしくて、できることは何でもやろうと思っていました。ジェーンさんとルイーズさんが何度も夫婦岩を映像に収めたいといってくれたのも光栄だし、伊勢で受けたインスピレーションがもしかしたら創作につながると思えば、喜んで、という気持ちでした」(立花)

立花さんのフットワークの軽さと観光誘客課のバックアップがアーティストたちの行動を支えました。これは、通常の行政のスピードからはかなり異例のことです。

「観光誘客課のスタッフは動きが速いし、アーティストに精一杯尽くそうとがんばってくれました。また神宮との交渉や撮影許可なども普段から観光誘客課の業務としてやり慣れていて、強いコネクションがあったことも幸いしました。日本文化の代表のような気持ちで臨んで、人海戦術で個人のネットワークもつぎ込んでやり遂げました」(須崎)

アーティストは不可解なことにも身ひとつで飛び込み、それぞれのやり方で自分のものにしていきます。そうやって日に日に変化していく様子を見守りながら、彼らの情熱に自分も動かされていたと立花さんはいいます。

「あとで記録映像を見て、僕らが用意したプログラムだけではなくて、自分で伊勢の街を見て歩いてくれていたのを知ってうれしかったです。地元の人しかいかないような場所を散策していて、やってよかったなと思いました」(立花)

これまで学生やメディアを招聘したことはあっても、アーティストを呼んだのは伊勢市にとって初めての試みでしたが、その目的は、英国のアーティストの眼を通して伊勢の魅力を再発見することにありました。今回伊勢に滞在してアーティストたちが発見したものは、伊勢に住む人々の誇りにもつながります。ここで生まれた縁をつないで、伊勢らしいレジデンスのあり方を探る、次の展開を須崎さんは考えています。

「行政主体のレジデンス事業は、アーティストを呼んできて、作品をつくって、展示して記録を残すというやり方が主流ですが、それは1サイクルで完結し、僕らが目指したものではありません。アーティストが伊勢で体験して得たものが、彼らの作品や人生につながって、永遠に伊勢を語ってもらうことが大事だと僕らは考えています。

送別会のとき、『これは一生に一度の体験ではなく、体験したら自分の生き方がずっと変わるような体験だった』『英国へ帰った後もずっと考え続けます』といった言葉をアーティストたちから聞けて、成功したと思えました。今回はまだ入口です。式年遷宮は20年に1度ですが、その4分の1の5年サイクルくらいの時間のなかで、彼らの活動をサポートしていきたいと思います。そしてその成果をいつか伊勢の人にも見ていただく機会をつくりたいですね」(須崎)

伊勢神宮の式年遷宮のシステムは、過去のさまざまな困難や危機を乗り越えて1300年以上もの間ずっと再生を繰り返し蘇ってきました。また伊勢で彼らと会い、語らえる日が一日も早く来ることを願っています。

漆を塗る工程の途中段階の春慶塗の盆を手にした職人と話す3人の見学者
伊勢春慶デザイン工房では伝統的な作業工程を復活させた伊勢春慶の制作過程を見せてもらいました。 ©

Ise City, British Council Photo by Hakubun Sakamoto

根付職人の工房を見学する人
根付職人、中川忠峰さんのアトリエでは遊び心のある作品を楽しみ、その精巧な表現に驚いていました。 ©

Ise City, British Council Photo by Hakubun Sakamoto

台の上にある柿の実を指さしながら会話する2人
伊勢市の指定天然記念物でもある蓮台寺柿の選果場を訪問したアーティストたちは、出荷作業の様子を興味深く見学していました。 ©

Ise City, British Council Photo by Hakubun Sakamoto

江戸時代から「伊勢の台所」として栄えた伊勢河崎で当時の商人の生活文化を伝える伊勢河崎商人館を訪れ、古い町屋や商家の蔵が残る町を探索しました。 ©

Ise City, British Council Photo by Hakubun Sakamoto

寺の本堂前で一列に並んで記念撮影する8人
松尾観音寺では住職の法話を聞き坐禅を体験しました。 ©

Ise City, British Council Photo by Hakubun Sakamoto

(取材・テキスト:坂口千秋 編集:榎本市子)

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