オーケストラによる新しい形の音楽教育をテーマに、ブリティッシュ・カウンシルが近年展開しているワークショップリーダー育成プログラム。2014年3月にもBBC交響楽団のメンバーらによるリーダー育成のためのトレーニングや一般向けワークショップ『ファミリー・オーケストラ』を実施し、音楽シーンの中にも理解者を増やし、日本の音楽家たちとともに新しい潮流を生み出している。
夏休みシーズンのまっただ中である2014年8月15日、横浜にある神奈川県立音楽堂において行われた音楽ワークショップ『みんなでいっしょに曲を作ろう!』も、そうした潮流を作るひとつだと言えるだろう。今回のワークショップリーダーは、英国から来日した作曲家のフレイザー・トレーナーさん、そしてクラシカル・サクソフォン奏者のリーダー的な存在であるサイモン・ハラムさん。そこに日本のプロ音楽家たちがサポーターとして加わり、集まった約70名の親子たちとともに新しい音楽を創造した。その活気にあふれた様子をお伝えする。
人気の夏休みコンサート企画で開催、多彩な楽器と参加者が集まった
「さあ、この2時間で皆さんは、今までになかった新しい音楽を発明するんです」とトレーナーさんの声がホールに響き、楽器を手にした参加者たちが一斉にステージへと集まってくる。クラシックの名曲などをそのまま演奏したり、分析しながら理解を深めるのではなく、参加者たちが作曲家になって音楽を生み出していくのが、新しいタイプのワークショップだ。
今回、その素材に選ばれたのは、翌日に同ホールで神奈川フィルハーモニー管弦楽団が演奏するベートーヴェンの交響曲第5番『運命』と、ロンドン在住の人気作曲家・藤倉大によるオーケストラ曲『シークレット・フォレスト』。実はこのワークショップ、子どもたちに音楽の体験を届けようという趣旨で同館が毎夏おこなっている人気企画『マエストロ聖響の夏休みオーケストラ!』の一環として行われたのだ。
参加者たちが手にしている楽器はヴァイオリンやフルート、トランペットなどオーケストラでも馴染みのあるものから、音楽の授業で親しんでいるリコーダーや鍵盤ハーモニカ、トライアングルや鈴などの可愛らしい打楽器、そしておもちゃの楽器など多種多彩。楽器の種類などによってグループに分けられ、それぞれにリーダーとなるプロの音楽家たちがついて音作りをしていく。今回は、前記『ファミリー・オーケストラ』にも参加したプロ・オーケストラの楽員に加え、新しく神奈川フィルからも楽員が参加してリーダー役を務めた。
難しそうな現代の音楽も、音を創造しながら理解を深める
前半はベートーヴェンの音楽に親しむため、トレーナーさんとハラムさんはヒントとして「ラ・フォリア」という古いヨーロッパのダンス音楽を提示。誰もがすぐに覚えられそうな短いフレーズを演奏してみせ、「これを元に新しい音楽を作ってみようよ」と参加者たちに呼びかける。各グループはステージや客席、ロビー、バックステージの楽屋などに移動し、ディスカッションをしたり音を出したりしながらそのフレーズを発展させていくのだ。それは作曲における「展開」「変奏」という作業そのもの、各グループが完成させた音楽を再びステージへと持ち寄ってみると、ひとつのフレーズが短時間で、こんなに多様な音楽に変化するのかと驚くほどだった。ベートーヴェンが交響曲第5番の第2楽章(ひとつのメロディを多様に変化させて演奏する変奏曲形式)で試みたことを、こういった形で追体験できたのである。
しかし、さらなる自由な創造性が発揮されたのは、藤倉大の『シークレット・フォレスト』をモチーフにした後半だろう。その目的は「新しい音楽の森を作ること」。『シークレット・フォレスト』はオーケストラが多種多様な音で創造する森の光景であり、ホールのあちこちに楽器を配して「音の空間」を味わうという新感覚の作品なのだ。
各グループは再び会場のあちらこちらへと分散し、それぞれに割り当てられた「音の雰囲気」「和音」「リズム」などによる音楽の素材を作り上げていく。ワークショップリーダーのトレーナーさんは各グループを回りながら「音符でおしゃべりをするようにね」「音を出さないときにも回りの音や静寂を聴いてみようよ」といったアドバイスを与えながら、参加者の自由な発想を育てていく。
そうして約30分後に完成した素材たちだが、今度は全員をステージに集めるのではなく、客席のあちこちに座らせて演奏。トレーナーさんが指揮者を務めて各グループへ合図を出し、まさにできたての新曲を初演するのである。それは『シークレット・フォレスト』同様、空間を上手に使った音楽であり、まるで不思議な森のなかで音を聴くような気分を味わった。この手法、一般的には難しいと思われがちな現代の作品を理解するため、かなり有効な手段だと言えるだろう。楽譜を必要としなくても、楽器を手にするのがほぼ初めてだという方も、気軽に演奏する側へ参加して音楽への理解を深めることができるのだ。
英国派遣に参加した体験が、新しい潮流の原動力に
今回のワークショップは、神奈川県立音楽堂・伊藤由貴子館長の熱意があってこそ実現したものだ。2013年1月から2月にかけて、ブリティッシュ・カウンシルが主催したオーケストラや音楽ホール関係者を対象とする英国派遣プログラムに参加した伊藤館長は英国のオーケストラによる創造性に富んだ音楽ワークショップに出会い、日本では体験したことのない自由な発想に感銘を受けたという 。「その後、2014年に東京で行われた『ファミリー・オーケストラ』に参加し、とにかく楽しかった!ということが今回の開催につながっています。既存の音楽アウトリーチとは違う新たな効果や展開を求めて、導入できないかと考えていましたから、このツールと出会えて本当に嬉しく、是非音楽堂でも試みたいと思ったのです。」
その熱意が次には神奈川フィルへと伝わり、今回は10名の楽員がワークショップリーダーのサポート役として参加。同オーケストラの副指揮者を務める永峰大輔さんは、学校へ出張する音楽教育コンサートなどを指揮することも多いためか、やはり新しい考え方によるアウトリーチを模索していたという。 「学校でのコンサートは、聴いていただくだけというケースがまだ多く、もっと能動的に音楽やオーケストラに近づいてもらえないものかと思っていました。こういったワークショップのスタイルによって現状を打破できる可能性は高くなりますが、音楽家も積極的に参加しないといけないでしょうね。経験値が上がることで自信にもなりますし、今後も機会がいただけるたび、くり返し参加していきたいと思います。」
こうして徐々にだが、英国流のクリエイティブな教育プログラムに感銘を受けた方たちが、所属するオーケストラやホールなどへ種を持ち帰って、芽吹かせていると言えるだろう。今回のワークショップはそのひとつであり、今後の展開にも注目していきたい。
オヤマダアツシ(音楽ライター)