Turner Prize installation shot - Ciara Phillips Things Shared 2014, Copyright the artist, Courtesy Tate Photograph

Image: Turner Prize installation shot - Ciara Phillips Things Shared 2014, Copyright the artist, Courtesy Tate Photography

毎年秋好例のターナー賞展がロンドンのテート・ブリテンで開催中。今年は1984年に創設されたこの賞の栄えある30周年。「ターナー賞の最大の功績は、お互いに反論し合う機会を人々に与えたこと」。テート4館の総合ディレクター、ニコラス・セロータのそんな言葉を待つまでもなく、展示公開と同時に賞の行方をめぐり議論が白熱している。

ノミネート者4名は、ダンカン・キャンベル、ジェイムズ・リチャーズ、トリス・ヴォナ=ミシェル、そして、キアラ・フィリップス。4人中3名が、今年5月の火災がまだ記憶に新しいグラスゴー芸術大学の卒業生。また同じく3名が、昨年、一昨年とそれでの受賞が続いた映像を制作。ここ数年の傾向であるアーカイブ映像や画像を小刻みに繋ぎナレーションなどを加えた、編集に力を入れた長編物が目立ち、ひと言で言うならば、今年は映像の年。どんな作家なのか一人ずつ見てみよう。

現在42歳と4名のなかで最年長、昨年の第55回ヴェネチア・ビエンナーレでスコットランド館代表を務めたダンカン・キャンベルは、歴史上の人物や出来事にまつわる既存の映像などを再編集した作品を通じ、歴史の語られ方に疑問を投げかけている作家。今回の展示では、54分にわたる歴史番組風の《It for Others》などを発表。パフォーマンスやニュース映像、美術図版やコマーシャル風のカットで綴られたフィルムに表象文化論風のナレーションを加え、アフリカのマスクから現代美術まで消費により変わる物の価値について鋭い批評を展開している。

同じく、カーディフ出身のジェイムズ・リチャーズも昨年のヴェネチアで注目を集めたひとりだが、論説的なキャンベルに対して、主観と即興性を重視。自作他作問わず大量に集めた画像や映像を編集して、快楽や官能を仄めかす詩的な映像を制作。今回の展示品はヴェネチアでも発表した、東京の図書館で撮影した局部が消された輸入ヌード写真集のカットに、皮膚をなでる花の映像などを組み合わせた映像《Rosebud》など。見えないものを補うように、ジェット音やストロボ効果などサウンドと視覚効果を巧みに使い、隠喩的にエロティシズムを追求している。

一方、リチャーズと同じ31歳で、エセックス出身ストックホルム在住のトリス・ヴォナ=ミシェルは、自分自身を題材に制作。自己についての物語が、媒体や表現方法を変えて作品間を循環する。展示品のひとつ《Finding Chopin: Dans l'Essex》は、自身のルーツ探しについて理解不能なほどの早口で語られた過去のパフォーマンスからの音声に、関連性が曖昧な自身に関する映像が添えられたもの。この難解な作品にヒントを与えるかのように、別のスライド作品では、理解可能な速度で自分の母についての人生潭が語られる。全体で一点のような総合的な構成とパフォーマンスの要素、主従が逆転した映像と音声との関係が新鮮。

対して最後のキアラ・フィリップスは、他の3名とは対照的に、シルクスクリーンという物理的存在を伴う古典的な媒体を使用。他者を招いて共同制作をしたり、過去の作品を再編成して別の文脈で見せるなど今風のアプローチを盛り込み、表現媒体以上に複写技術として使用されてきたこのメディアに新風を注いでいる。今回のインスタレーション《Things Shared》もそんな作品のひとつ。また、共同作業中に飛び交った単語やフレーズを用いて音声作品にするなど、プリント作りを人と人とをつなぐ場として用いている。

さて、個々の作品はこんな感じだが、メディアの反応はどうだろうか? 「イライラするほど小心」(インディペンデント)、「心地いいくらい何も感じない(アートインフォ)」、「本物のアーティストはひとりだけ」(テレグラフ)など辛い言葉が飛ぶ一方で、「映像美術における根本的な変化が明らかに」(チャンネル4)といった新しいトレンドを指摘するコメントもある。また、キャンベル派のリチャード・ドーメント(テレグラフ)、リチャーズ派のゾイ・ピルガー(インディペンデント)、ヴォナ=ミシェル派のジョナサン・ジョーンズ(ガーディアン)、フィリップス派のベン・ルーク(イブニング・スタンダード)と、受賞すべき作家についての評論家の意見も見事に分かれ、会場に残された来場者のコメントもさまざまと、冒頭で紹介したセロータの言葉どおりのことがまさしく起きている。

かくいう私が受けた印象もまた、かなり控え目で、ひと頃のようなアートの定義に一言を申すような挑発的な作品もなければ、その大半が、鑑賞者自身が観るペースを自由にコントロールできない映像のため、かなり窮屈な印象を受けた。しかしながら、その一方で、センセーショナルな作品や快適に観られる作品を紹介するのがターナー賞の役目ではないため、それは言っても仕方のないこと。むしろ、「これのどこが優れたアートなのか?」と疑問が浮かぶような作品をあえて提示し、我々の狭い許容範囲を広げることが、ターナー賞がこれまでに務めてきたことだ。デミアン・ハースト、クリス・オフィリ、マーティン・クリード…と今では不動の地位を築いた過去の受賞者たちも、ノミネート時にはそんな疑問をもたれたアーティストばかりだ。

そんなターナー賞の過去30年間における功績を挙げさせてもらうならば、毎年変わらず優れたアーティスト4名を選び、彼らを対峙させ、そこから1名を選ぶことによって、常に新鮮な議論の場をつくり出してきたこと。セロータの言うとおり、誰しもが自由に自分の意見を持ち、それをぶつけ合える機会を作り上げたこと。そして、そのなかで、優れたアーティストを世に広め、英国の現代美術を国際舞台に載せたこと。リチャード・ディーコンらニュー・ブリティッシュ・スカルプターからハーストらYBA世代、それに続くポストYBA世代と、ノミネート作家の変化とともに取り上げられる作風も変わってきたが、今も変わらないのがこの熱い議論の場だ。30周年を迎えてますます盛り上がっている。

12月1日(月)に受賞者1名が発表される。(文:伊東豊子)

「ターナー賞2014」展覧会

会期:2014年9月30日(火)~2015年1月4日(日) 10:00-18:00
会場テート・ブリテン
公式サイトテート・ブリテン ターナー賞2014(英語) 

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