Newport Street Gallery facade
NPSG facade_┬® Victor Mara Ltd, Photo Prudence Cuming_1

46万人を動員したテート・モダンでの展覧会から3年。「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA)」のリーダー格として世間を騒がせてきたデミアン・ハーストもいよいよ50代に突入し、めっきり落ち着いてしまった感があるが、そのハーストのアート界久しぶりの大事業となるプライベート・ギャラリーが10月にロンドンにオープンし、話題を呼んでいる。

「僕のサーチ・ギャラリー」とハーストが呼ぶニューポート・ストリート・ギャラリーは、サラ・ルーカスらYBA仲間からベーコン、ピカソまで3000点以上あるハーストの美術コレクションを、自身によるキュレーションのもと、無料で公開するギャラリーになる。フリーズ展のキュレーションで27年前にキャリアのスタートを切ったハーストにとって、キュレーター業を兼ねるのはたやすいことのようだが、2500万ポンド(約46億円)もの施工費をかけてアーティストが「美術館」を開くのは異例なことだ。しかも、自分の作品は見せないというから驚きである。

「コレクションをシェアしたい」という気持ちから

ハーストのギャラリーがお目見えしたのは、テート・ブリテンから徒歩20分ほど、テムズ川南岸に広がるヴォクソール界隈。再開発ブームのロンドンのなかでほっとするほど庶民的で、高架鉄道が目の前を走るインダストリアルな住宅街のなかにある。元舞台美術の工房3棟を新築2棟で挟んで連結したギャラリーは、ハーストが学生時代に通った旧サーチ・ギャラリーや2000年に開館したテート・モダンに通じる、工場風の建物のなかに白壁の空間が広がるタイプのもの。オープニング展は、2011年に他界した抽象画家ジョン・ホイランドの個展と、サメのホルマリン漬けで「恐るべき子ども」と呼ばれたハーストにしては意外な選択になっている。

広さ約3500平米のギャラリー6部屋に並ぶのは、アメリカのカラーフィールド・ペインティングに影響を受けたホイランドが1964年~1982年に描いた抽象画33点になり、すべてハーストの個人コレクションに属すもの。ハーストの3世代前に当たるホイランドは、今ではすっかり忘れられた存在になるが、「Power Stations(発電所)」と題された展示は意外なほど見応えがある。絵画の鮮やかな色彩と図形的なフォルムが、直線の強調された真っ白な空間と絶妙な調和をなし、まるでこの空間のために描かれたものであるかのような印象を受ける。同系色でまとめられた構成も効果的で、微妙に変化する色使いから、色彩に目覚めた若いホイランドのほとばしるエネルギーが伝わってくる。こんな画家が英国にいたのかと驚きを感じるのと同時に、美術館でさえ手をつけない画家をこのスケールで見せるハーストの度胸に感心する。

ギャラリーのスポークスマンを務めるケイト・デイヴィスによると、ハーストは「自分の制作もまだ続けている」そうだが、ポスト・サーチを標榜する今回の動きからは、美術館ばりのギャラリーの規模と展示の質も加わり、まるで本格的にコレクター業に転身したかのような印象を受ける。コレクション、経済力ともにサーチと同レベル、あるいはそれ以上に達したハーストの自信と余裕が伝わってくる。デイヴィスの話によると、ハーストは、「種類が豊富で数も膨大な自分のコレクションを一般の人たちとシェアしたい、それらを無料で公開する場をつくりたい」というフィランソロピー的な動機からこのギャラリーを開いたという。サーチがかつてジェフ・クーンズらアメリカ勢を英国に紹介してハーストら若手を刺激したように、ハーストも若手の台頭において停滞気味の今の英国のアート界に一石を投じたいのかもしれないと憶測が浮かぶ。

そのフィランソロピー精神が伝わったのか、いつもはハーストに対して手厳しいメディアも今回はわりと好意的だ。ホイランドの作品に対する評価は賛否両論だが、YBAにより一掃されてしまった世代に属すホイランドをオープニングにもってきたことへの評価が高い。また、ロンドンには美術館規模のプライベート・ギャラリーがサーチ・ギャラリーぐらいしかないため、そこでも今回の動きを歓迎する向きがある。実に、このタイミングでの開館は、英国内での文化予算がここ4年で30%以上も削減され、美術館が苦境にあるうえに、テート・ブリテンのディレクターが昨年それで批判されたように、高来場者数を見込めない展示を美術館が企画するのが難しい風潮にもあるため、オルタナティブな存在として意義のあることように思える。こんな時代にこそ、独自の財源と視点をもち、リスクをも取れるハーストのような篤志家の存在が重要であるように感じる。

ここから広がる新たなアート・ハブ

実際、そんなハーストに希望を託す者も少なくないのだろう。2012年3月にハーストがギャラリー設立の意向を表明して以来、このヴォクソール界隈ではそれに賛同するようにアート界の動きが活発になっている。そのひとつが、来年春にヴォクソール駅裏手の公園スプリング・ガーデンズに移転オープンする、エド・アトキンスら若手を多く抱える画廊キャビネット・ギャラリーの新スペースだ。コレクターであり篤志家のチャールズ・アスプレーの出資により、地元住民の承認を得て公園の片隅に建設中の5階建ての建物は、遊園地発祥の地であるこの公園の歴史に配慮したパビリオン風になるらしく、ハーストのギャラリーと並んでこの界隈の新名所になりそうだ。

また、今年9月には、オーバルにあるギャラリー併設のスタジオ&レジデンス施設ガスワークスも、約1年間の改装期間を経て新たにオープンしている。1994年に開設した非営利運営のここは、ロンドンの多くのアーティスト・スタジオ同様これまでスペースを借りていたが、アーツ・カウンシルなどから総額210万ポンド(約3億9千万円)の資金援助を受け、施設が入る建物の永久所有権をオーナーから買い取っての再スタートとなった。

ハーストのギャラリーを含めてこの3施設の重要な点が、みな建物を所有しており、不動産事情に影響されることなく無期限で施設を運営できること。ロンドンではここ数年の不動産価格の急騰により賃料が軒並みに上がり、より安い地域への移動を余儀なくされるアーティストや美術団体の数が増えているだけに、市内中心部で恒久的に使えるスペースを確保できたのは幸運なことだ。こうした動きを経て、このヴォクソール界隈がロンドンの新しいアート・ハブとして注目され始めている。その中心を占めるがハーストのギャラリーだ。展示プログラムを含め、今後の方針についてはまだ未定とのことだが、ハーストのこのニューポート・ストリート・ギャラリーがオープンしたことによって、この地域の文化マップがどのように発展していくのか、今後の動きに注目したい。(文:伊東豊子)

2015年10月

「John Hoyland: Power Stations」展

会期:2015年10月8日(木)~2016年4月3日(日)
会場:Newport Street Gallery
Newport Street, London SE11 6AJ
火曜日~日曜日 10:00~18:00

Newport Street Gallery, Gallery 5 into 6
Gallery 5 into 6 ┬® Victor Mara Ltd, Photo by Prudence Cuming Associates

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