Miki-Tsukada-Essay

リバプール・ミュージアムのキャロル・ロジャース氏とクレア・ベンジャミン氏

戦略、その先またはその背に ―  研修を終えて

塚田美紀(世田谷美術館)

ブリティッシュ・カウンシルのエデュケーター研修に参加するのは8年ぶり、2度目である。2006年の日本・韓国・タイの混成チームでの研修も、今回の日本チームでのそれも、英国の文化政策とミュージアムの教育プログラムの大まかな動向を肌で理解できるよう構成してあった。特に首都ロンドンの大規模館だけでなく、地方都市の試みを見聞できたのは有意義だった。

8年前と比べ、どのミュージアムのスタッフもいっそう明快な言葉と、目をひくビジュアル資料を駆使してプレゼンテーションを行っていた。館のミッションに始まり、教育プログラムの対象、狙い、方法などを、トップから現場のスタッフまで、誰もがくっきりと輪郭のある表現に落とし込んでいるのである。活動の評価と成果アピールにも余念がなく、大規模館はそのための専門スタッフを雇うなど並々ならぬ労力を注いでいる。

地域社会に目を向けるプログラムでは、学校団体に対応するのはもちろんのこと、社会的・経済的・文化的に排除されやすい層(無職の若者、貧困家庭、移民、およびこれらの条件が重複する人々)をターゲットにすることはもはや当たり前、という風情であった。その方法は、ピクニックやDJイベントを開いてともかく大勢の人を呼び寄せるという軽めのものから、芸術家が出向いて少人数グループと対話を重ねるという長期的で地道なものまでさまざまである。いずれにせよ、地域に目を向けるということは、排除と分断という問題に分け入ることと同義で、一般に平穏で予定調和的な活動をイメージさせる、日本のミュージアム(少なくとも美術館)の「地域との連携」とは肌合いがかなり異なると言うべきだろう。

そのように排除されやすい人々として、新たに「高齢者」というカテゴリが今回加わっていたのが興味深い。とりわけ、10年ほど前に「高齢者に優しい都市」宣言を出したマンチェスターのミュージアムや、同じ頃から高齢の来館者向けプログラムを開発してきたリバプールのミュージアムによる事例紹介には、勢いがあった。彼らによると、認知症患者を含む高齢者を直接の対象とするプログラムに加え、医師、あるいは老人ホームの介護職員むけの研修をミュージアムで行っており、それがたいへん人気の高いものとなっている。人件費も含む事業予算は、病院や公的医療部門から引き出しているのだという。

彼らの堂々たるプレゼンテーションは、未曾有の超高齢化社会にあって、ミュージアムが担いうる役割についての強い確信に裏打ちされている。と同時に、医療や介護といった異業種の人々を巻き込んで説得し、現実に資金を引き出すべく周到に磨かれたものでもある。「念のために言いますが、文化に十分な予算がついたことなど、今も昔も一度もありませんよ。文化のパイはしょせん小さい。でも福祉や医療のパイがうんと大きかったら、そっちに「うふふ、こんにちは」と寄っていくしかないでしょう?」リバプール・ミュージアムの教育・地域・来館者部門トップ、キャロル・ロジャース氏がユーモアたっぷりに口にしたこのコメントほど、凄みのある言葉もないだろう。老いゆく地方都市に身を置く彼らのしたたかさ、戦略的な発想はまさに筋金入りである。

こうした明快な力強さ、戦略性のある語りを思い起こすなかでふと気づいたのは、彼らの言葉は、どちらかといえばいわゆる社会的企業、公共サービス部門が取りこぼした社会的ニーズを拾い上げるソーシャル・ビジネスの世界の言語に近いのではないか、ということである。未就労の若者や貧困家庭や移民にせよ、また高齢者にせよ、社会的排除という問題の枠組みに位置づけられる人々がいる。その人々の抱える困難さを解決するという目標を立て、そこに向けて具体的なプログラムを開発する。開発にあたっては多様な資金源を開拓し、またそのプログラムが持続的に資金を投入するに値する成果を出していることを示すべく、厳密な評価活動を欠かさない―まっとうなソーシャル・ビジネスがおおよそこうした発想で動いているとすれば、今回の研修で会ったほぼすべての人の語りに、それは大なり小なり組み込まれていた気がするのである。

1980~90年代のサッチャーらによる保守党政権下、不況へのテコ入れとして公共部門の大幅な予算削減の一方で競争と市場の原理が導入され、「新しい労働党」を標榜した90年代末から2000年代のブレア政権も基本的にその路線を保持し、ミュージアムが立脚する文化や芸術の領域も大きな影響を受けた。コストパフォーマンス、ステークホルダー、アカウンタビリティといったビジネスの用語と発想は、ミュージアムの日常の活動に浸潤しているようである。その後の政権交代とオリンピックを経て、ミュージアムが今やさらにシビアな財政状況に置かれていることは研修中に何度も耳にした。営利団体でも慈善団体でもないミュージアムがそれでも生き残ろうとするとき、教育という切り口において、良かれ悪しかれソーシャルビジネスに近似するのは、そんなに不思議なことではないのかもしれない。

文化や芸術が、社会的な問題の解決に資することはじゅうぶんにありうるだろう。ただ、とりわけ芸術の核心にあるのは豊かな混沌、謎というべきものであり、それが開示される瞬間の圧倒的で幻惑に満ちた体験である。解決ではなく謎、この深く魅惑的な淵を人々とともに覗き込むことなしには、そもそも文化や芸術の教育活動は始まらないし続かない、という当たり前のことを、自戒の念も込め、今あらためてかみしめている。そして考えてみれば、そんなことは、今回会った人々はみなわかっているはずなのであった。手放してはならない世界があると確信すればこそ、かくも力強く戦略的にふるまえるのである。研修の最終日、研修メンバーのひとりが「餅は餅屋、我々はどこまでいっても結局芸術をやるんだろうし、そうでなくちゃならない」と口にしたのも、ことのほか印象深い。

豊かな経験の場をコーディネートして下さったブリティッシュ・カウンシルの皆さまと、刺激的なディスカッションを日夜問わずともに楽しんだ研修メンバーに、深く感謝します。

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